量子コンピュータは、現在我々が活用している古典的コンピュータに比べて、次元の違う計算能力をもたらす物と期待されているが、それが実現するためには数多くの乗り越えるべき壁がある。そして今回、Microsoft、AWS、チューリッヒ工科大学の研究者らによって『Association for Computing Machinery』誌に掲載された研究論文はその考えを更に補完する物で、量子コンピューティングが現代のAIで活躍しているようなGPUを駆逐するためには、まだ多くの分野で画期的な発見が必要であるとのことだ。
この論文では、多くのアプリケーションは、これまで考えられていたよりも長い間、(量子コンピューターではなく)古典的なコンピューターに適しているという結論を述べている。研究チームが研究の一環としてシミュレーションした、将来において実現されるであろう100万個以上の物理的量子ビットで動作する量子システムにおいても同様であるとのことだ。
量子ビット数で言えば現在トップであるIBMのOspreyがまだ433量子ビットしか搭載していないことを考えると(IBMは2025年に4,158量子ビットのシステムを発表すると約束している)、100万量子ビットの実現はまだまだ遥か先のことだ。そして、それが実現された場合でも、古典的コンピュータの活躍はまだ続くと、この論文では述べられているのだ。
創薬、材料科学、スケジューリング、最適化など、量子コンピュータが得意とする分野ではあるが、問題はアプリケーションやワークロードそのものにあるのではない。問題は、量子コンピューティング・システムそのもの、つまりそのアーキテクチャにあり、現在および将来において、これらのアプリケーションが解決策を見出す前に必要とする膨大な量のデータを取り込むことができないことにある。これは単純なI/Oの問題で、NVMe SSDが主流になる以前、HDDがCPUやGPUをボトルネックにしていた頃と同じように、「データはその速さでしか供給できない」ということだ。
「これらの考察は、量子アプリケーションの探索において、誇大広告と実用性の分離に役立ち、アルゴリズム開発の指針となるものです。我々の分析によると、コミュニティは2乗を越える速度、理想的には指数関数的なスピードアップに焦点を当てる必要があり、I/Oボトルネックを慎重に考慮する必要があるのです」。
送信されるデータの量、目的地への到達速度、処理にかかる時間は、すべて同じ方程式の要素である。この場合、方程式は量子的な優位性、つまり量子コンピュータが古典的なシステムで可能な以上の性能を発揮する瞬間を意味する。大規模なデータ処理を必要とするワークロードでは、量子コンピュータがNVIDIAのH100のようなGPUの代わりになる事は、おそらく長い間訪れないだろう。
量子コンピュータは、小さなデータで大きな計算問題を解くことに専念し、古典的なコンピュータは「ビッグデータ」問題を処理するという、ここ数年注目されている量子コンピュータのハイブリッドアプローチに取り組む必要があるかも知れない。
この研究に携わった研究者の一人であるMicrosoftのMatthias Troyer氏のブログ記事によると、これは、薬物設計やタンパク質折り畳み、気象・気候予測などのワークロードは、結局のところ古典システムに適しており、化学や材料科学は「大きな計算、小さなデータ」の哲学に完全に適合することを意味する。
そして、Troyer氏はこう指摘する。「量子コンピュータが化学や材料科学に恩恵を与えるだけなら、それで十分です。石器時代、青銅器時代、鉄器時代、シリコン時代と、イノベーションの主要な時代に素材の名前がついているのには理由がある。化学と材料科学の革新は、全製造品の96パーセントに影響を与え、人類の100パーセントに影響を与えると推定されます」。
「量子実用性を評価する我々のフレームワークは、化学や材料科学の問題が量子高速化の恩恵を受けることを示しています。なぜなら、1つの化学物質の相互作用をシミュレーションするような活動は、その軌道上の電子間の限られた数の相互作用強度で表現することができるからです。その特性に関する多くの近似計算が日常的に行われていますが、その演算は古典コンピュータでは指数関数的に複雑ですが、量子コンピュータでは効率的であり、我々の示したガイドラインの範囲内に収まっています」。
しかし、研究者の論文にはもう一つ無視できない要素がある。それは、現在の量子コンピュータのアルゴリズムだけでは、望ましい「量子的優位性」の結果を保証するには不十分だということだ。量子コンピュータのシステムエンジニアリングの複雑さよりも、ここでは単純な性能の問題だ。例えば、Groverのアルゴリズムは、古典的なアルゴリズムに比べて2次関数的な高速化を実現しているが、研究者によれば、それだけでは十分とは言えない。
つまり、量子コンピュータへの道のりはまだまだ長いのだ。しかし、世界のIBMやMicrosoft、Googleは、それを実現するための研究を着実に進めていく事だろう。現在のCPUやGPU、アーキテクチャは、より早く、よりインパクトのあるスタートを切っただけで、量子コンピュータが抱える問題の多くは、古典的なハードウェアの開発で直面したものと同じだ。しかし、量子コンピュータのように、設計と性能を繰り返しながら、新しい時間枠の中で開発を進めていかなければならないのだ。
論文
- Association for Computing Machinery: Disentangling Hype from Practicality: On Realistically Achieving Quantum Advantage
参考文献
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